薫が東京大学でエクスタシーになっていたとき、その近くにいた人物がふたりいた。ひとりは中山老人だ。
 恍惚(こうこつ)状態になり、常に決定的瞬間にいるかのような独語を続け、キャンパス内を歩いてゆく薫の後を行きながら、中山老人はしばしば薫が発した「まったく」という言葉が聞こえてくる度に、亀山先生の口癖だったな……と思ったのだった。
 そしてもうひとりは、賢治だ。
 いくら学内に変わり者も多いとはいえ、キャンパス内での薫の言動は人目をひいた。それは当然予測できた。薫は自分の背後など気にすることはなかったし、またなにができたというわけでもないだろう。
 悪戯半分で薫の後ろをついて行っていた学生のひとりが、薫の前に出てなにかをしようとしたときだ。賢治は横からその学生の肩を軽く叩いた。
 極道の頭(かしら)ではあったが、目立つ格好をしているわけではない。しかし学生はずんぐりとした体格の賢治の雰囲気のせいだろうか、ばつの悪そうな顔をして笑うと、すぐにどこかへ行ってしまった。

 

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