博多駅から東京行きの新幹線に乗った薫は、車窓の流れていく景色を眺めていた。鉄が今日退院するという報せを受けたのだ。薫と鉄はいまでは話をしてもすぐ皮肉の応酬になってしまうような関係だったが、それでも交友は二十年近くも続いていた。薫は鉄のことを様々に考えようとするのだが、鉄の本質のようなものは、いつもそうした言葉を逃れていくのだった。薫は鉄の病的ともいえる臆病な世故(せこ)と利己について、いろいろ思いを巡らせていたが、そのとき宮古島のユタが言ったことを思い出した。
 どういう話の流れかはもう忘れていたが、ユタは東京大空襲の話をした。その死者がまだ弔(とむら)われていない、と。鉄のなかにあるのは、その死者の悲しみではないか、と薫は考えてみた。なぜかそう考えると、納得できるような気もしたが、それは薫の計り知れないことだ。
 薫は博多駅の売店で買ったペットボトルのコーヒーを一口飲んだ。

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