東京都内の通りをおぼつかなく歩いていた老人は死期を予感していた。
 若かった頃、戦場へ行き生きのびて郷里の関東にもどると、唯一の家族だった母親は住んでいた家とともに焼死していた。以来、老人は世を捨て、復讐するかのように偸盗(ちゅうとう)として生きた。生涯つかまることはなかった。自らの病も天命だと思っていた。人生に悔いはなかった。
 東京の街を歩いていた老人は、数十分後そのまま歩道に倒れた。
 救急車で病院に運ばれて行くなかで、最期に脳裏に映ったのは、見憶えない女の子の姿だった。母親でもなかった。自らがこれまで交わってきた女の誰かが走馬灯に立ったのか、と思ったが、まだ少女のように見えた。それが誰なのか思い出そうとしたが、わからなかった。
 薫が生まれたのは、その日だった。


 薫の最初の記憶は、まだ父母が祖父母の家に間借りしていたときのことだ。歩けるようになった薫は家の外の通りに出てあたりの風景を見た。そして玄関の前で立ち話をしていた母親に訊ねた。
「ここ、東京?」
 母親は笑って、ここは佐賀よ、と言った。

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