薫はゲームデザイナー志望だった。ノートに書かれている有楽会(うらくかい)というのは、薫が友人の鉄(てつ)とともにつくろうとしていたゲーム、『函(はこ)のなかの少女』に登場する組織の名前だ。有楽会は明治維新後つくられた宗教団体から派生したとされている。そのゲーム自体は、薫と鉄との制作方針の対立で、完成していない。

 最初のエクスタシーから数カ月後、大学を休学していた薫は沖縄宮古島のユタのもとを訪れている。ユタとは沖縄などの民間の巫者(シャーマン)のことだ。ユタは薫に「神だあり」だと言った。神だありとは巫者が成巫(せいふ)するときに通過する巫病(ふびょう)だ。
「世界が消えた」と言った後、精神科への入退院をくりかえしていた頃、薫は佐賀から福岡や東京へ行き、そこで奇異なふるまいをし、救急車で運ばれたり、警察に連れて行かれたりした。神だありとはそうしたことをいうそうだ。
 そしてもう一つ、ユタは興味深いことを言った。「女の人が見える」と。誰か身内に若くして死んだ女性の心残りがある。後に必要があり家族の戸籍を調べていたとき、薫の父方の祖父の妹が、十代で死んでいたことがわかった。

 薫は童貞だという。ただ多くの「あたまをやられた」人たちと同じように、彼の記憶も錯綜(さくそう)している。
 薫は最初の大学退学から、二十回以上精神科に入院した。退学後、佐賀の実家にもどり、ひどく考えこむようになり、ある日風呂に入っていると「世界が消えた」と言って、ぼろぼろ涙をこぼし泣いた。
 家族に精神科を受診するようすすめられたその頃から、薫には迷妄(めいもう)の記憶が立ちあらわれてくる。

 河瀬のノートにはさまれていた泉薫の(正確には泉薫のモデルとなった男の)履歴書には、彼の写真が貼られている。それはおそらく泉薫本人から河瀬がもらい受けたものだろう。度の強い眼鏡をかけた面長のその顔は、どこか神経質そうにも見えた。
 薫は佐賀の高校を卒業したあと、東京大学に進学している。興味深いのは、一度大学を退学し、それから数年後に再入学していることだ。薫が最初のエクスタシーになったのは、その二度目の在学時だったとノートには記されている。そしてこのときも大学を卒業することなく、再び退学したようだ。
 エクスタシーとは、いまでは麻薬やセックス、音楽での高揚などにつかわれる言葉だが、もとは神がかりのような意味だ。エクスタシーは世界中の哲学で重視される。哲学というとなにか難しそうなイメージがあるが、エクスタシーのような宗教的呪術的行為と哲学は本来不可分なのだ。

はじめに

 私が河瀬由子を知ったのは、今から数年前のことだ。その頃河瀬はエイトソフトという創作サークルに参加し、アドベンチャーゲームのシナリオを書く予定だった。しかしサークル主宰者の健康の悪化などにより、その話を構想から先に進めることができないでいたようだ。
 くわえて河瀬自身の眼の状態もあまりよくなかった。河瀬はそのシナリオのメモを数冊のノートにまとめており、眼の疾病で入院していた河瀬を見舞ったとき、私にそれらのノートを見せてくれた。
 ノートに書かれている泉薫(いずみかおる)という男は、河瀬の幼なじみをモデルにしているという。その泉薫を主人公のひとりにしたアドベンチャーゲームを企画していたが、それが無理のようなので、はじめ考えていたように小説にしようと思っている、と河瀬は言っていた。
 河瀬の考えていたその小説を私が書くことになったのは、それから後の河瀬の急逝(きゅうせい)のためだ。もともと俳句ばかりつくっている自分に、小説として形のまとまったものを書くのは難しい。しかしやらなければいけない。
 思えば河瀬と私がはじめて知り合ったのは、インターネットの俳句投稿サイトであった。このつたない序文の最後に河瀬の秀句を掲げておくことは、これからの私の航海への護符となるだろう。

 幼い日の霊を求めよ言葉たち

大和徒夢物語(やまとあだゆめものがたり)



          卍



         兄弟へ