博多駅から東京行きの新幹線に乗った薫は、車窓の流れていく景色を眺めていた。鉄が今日退院するという報せを受けたのだ。薫と鉄はいまでは話をしてもすぐ皮肉の応酬になってしまうような関係だったが、それでも交友は二十年近くも続いていた。薫は鉄のことを様々に考えようとするのだが、鉄の本質のようなものは、いつもそうした言葉を逃れていくのだった。薫は鉄の病的ともいえる臆病な世故(せこ)と利己について、いろいろ思いを巡らせていたが、そのとき宮古島のユタが言ったことを思い出した。
 どういう話の流れかはもう忘れていたが、ユタは東京大空襲の話をした。その死者がまだ弔(とむら)われていない、と。鉄のなかにあるのは、その死者の悲しみではないか、と薫は考えてみた。なぜかそう考えると、納得できるような気もしたが、それは薫の計り知れないことだ。
 薫は博多駅の売店で買ったペットボトルのコーヒーを一口飲んだ。

 東京都内の通りをおぼつかなく歩いていた老人は死期を予感していた。
 若かった頃、戦場へ行き生きのびて郷里の関東にもどると、唯一の家族だった母親は住んでいた家とともに焼死していた。以来、老人は世を捨て、復讐するかのように偸盗(ちゅうとう)として生きた。生涯つかまることはなかった。自らの病も天命だと思っていた。人生に悔いはなかった。
 東京の街を歩いていた老人は、数十分後そのまま歩道に倒れた。
 救急車で病院に運ばれて行くなかで、最期に脳裏に映ったのは、見憶えない女の子の姿だった。母親でもなかった。自らがこれまで交わってきた女の誰かが走馬灯に立ったのか、と思ったが、まだ少女のように見えた。それが誰なのか思い出そうとしたが、わからなかった。
 薫が生まれたのは、その日だった。


 薫の最初の記憶は、まだ父母が祖父母の家に間借りしていたときのことだ。歩けるようになった薫は家の外の通りに出てあたりの風景を見た。そして玄関の前で立ち話をしていた母親に訊ねた。
「ここ、東京?」
 母親は笑って、ここは佐賀よ、と言った。

 その特別講義は『エクスタシーの実践』という題だった。大学構内の数カ所にチラシが貼りだされた。講師は中山一郎。
 聴講生はまばらだった。時間になり中山老人は教壇にのぼると、「それでは講義を始めます」と一礼し、その場にあぐらをかいて座りこんだ。顔をうつむかせたままの姿勢で十分ほど経っただろうか、中山老人はゆっくり斜め上を見上げると、凄みのある声で、「……なんだ、貴様はァ!!」と口を開いた。
 このとき中山老人が語ったことは「7」に書いた。中山老人は壇上でたっぷり一時間以上、誰が見てもあたまがおかしいとしか思えない狂態を演じ、突然それをやめ、「それでは、これで講義を終わります」と一礼し、何事もなかったかのように教室を出て行った。
 ちなみに中山老人はこの特別講義の最中、みずからを名誉教授とうそぶいたが、実際は教授でもなんでもない。ただ哲学の修士号を持っていたのはほんとうで、大学によく出入りしていたため、周りから「名誉教授」とからかわれていたのだ。

 薫が東京大学でエクスタシーになっていたとき、その近くにいた人物がふたりいた。ひとりは中山老人だ。
 恍惚(こうこつ)状態になり、常に決定的瞬間にいるかのような独語を続け、キャンパス内を歩いてゆく薫の後を行きながら、中山老人はしばしば薫が発した「まったく」という言葉が聞こえてくる度に、亀山先生の口癖だったな……と思ったのだった。
 そしてもうひとりは、賢治だ。
 いくら学内に変わり者も多いとはいえ、キャンパスでの薫の言動は人目をひいた。しかし薫は自分の背後など気にすることはなかったし、またなにができたというわけでもないだろう。
 悪戯半分で薫の後ろをついて行っていた学生のひとりが、薫の前に出てなにかをしようとしたときだ。賢治は横からその学生の肩を軽く叩いた。
 極道の頭(かしら)ではあったが、目立つ格好をしているわけではない。しかしずんくりとした体格の賢治の雰囲気のせいだろうか、学生はばつの悪そうな顔をして笑うと、すぐどこかへ行ってしまった。

 日清日露の戦争に勝って以来、世相は熱狂していたが、男は佐賀平野のだだっ広い干拓地(かんたくち)に立って、このあたりの西瓜(スイカ)は美味そうじゃ……と暢気(のんき)なことを考えたりもした。坊主あたまではあったが、頭陀袋(ずだぶくろ)を持った薄汚い身なりは、僧侶とも違うようだ。一カ月ほど前、和歌山から汽車で来て、男は友人の実家に停泊していた。
 ここで人を探していたのだ。
 夏日の照りつける道を歩きながら、男は調べておいた鹿江(かのえ)という場所を訊ねようと、道の端に座りこんでいた子どもに声をかけた。
「おう」
 子どもは振り向かない。男は気にする風もなく、近づいて行った。手元を覗きこむと、女の子は黙々と蟻を潰していた。
「道を訊きたいんじゃが」
 女の子は不審気に男を見た。しかしなにも言わずまた蟻を潰し始めた。
「……可哀そうじゃ」
 女の子は黙っていたが、下を向いたまま馬鹿にするように言った。
「……坊さんね?」
「坊さんではないが……」
 男は坊主あたまを掻いた。そうしてしばらく女の子の後姿を見て言った。
「……死ぬまで、食うに困らず生きたいか?」
 女の子は振り返った。それは不自然な言葉だったが、父親との夜のことを思いながら蟻を潰していたのを見透かされたと思ったのだ。男の眼をじっと見つめ、女の子はうなずいた。
 すると男はその場に座りこみ、頭陀袋から一升瓶とぐい飲みを取り出し、酒を注ぎまず自分が半分飲んだ。それを今度は女の子に差し出した。
 女の子は男がなにを意味しているのかがわかる気がした。男と酒を順に見つめ、女の子は杯を一息に飲み干した。それを見ていた男は、なにか顔をしかめ下を向き、女の子のあたまを雑に撫でた。
「すまんな……」

 現代まで続くという有楽会の目的は、中国思想の始祖(しそ)である孔丘の血統による、極東での周王朝の再興と護持(ごじ)……すなわち天皇制下の日本。亀山博士の戦時中の呟きが意味するのはそういうことだが、この真偽は薫が知るところではなく、シナリオを書く上で伝奇的想像力をかきたてられたというだけのことかもしれない。
 ゲーム制作の中断の原因となったのは、テーマに欲望をおりこむかどうか、ということでの対立だった。トレードをやっている監督の鉄は、当然それを表現しようとしたが、一方引きこもりのような生活をしていた薫は別のテーマを求めようとした。
 制作は薫が最初のエクスタシーになった後、大学を休学し実家にもどっていたときに始められ、上記の理由で中断した。
 それから薫は調子が悪化し精神科に入院。まるであたまのなかにマグマでも湧きおこっているかのような激甚(げきじん)なきつさを抱え、ある日病室に来た担当の精神科医に言った。
「あんまりこんなことやってると、そのうち東京あたりで地震が起きますよ……」
 高学歴の薫の口から、このような精神病者にありがちな神秘主義の言葉が出たことに、医師は失笑したかもしれない。
 東日本大震災はその数日後だった。

 薫の二度目のエクスタシーから数年後、鉄は松沢病院に入院した。それは薫のあたまの状態が落ちついてきたことと表裏をなしているかのようだった。鉄にとってはじめての精神科への入院だった。
 疲れをとるためしばらく休養するように、と医師は鉄に言った。薫がエクスタシーになったとき、まるで世界を取り巻いた蛇のように、薫はネットの神を自称したが、病院のなかで鉄は自らをコンピュータの神だと考えていた。鉄は関東出身関東在住だったが、その都市がお金を機軸としたひとつの系をなす巨大コンピュータであり、自身がその中心に鎮座(ちんざ)している……という誇大妄想的な思考。
 2010年夏、東京大学の近くの下宿で、薫は処方されている精神安定剤を飲むのをやめ、一週間ほど水だけにしか口にせず、狭い部屋のなかで横になっていた。そしてそのとき、薫はポケットに入れていた携帯電話を取り出して、鉄に電話をかけた。
「……神になったぞ」
「ああ?」
大物主大神だ……!」
「……?」
 鉄は無言だったが、薫は鉄がインターネットで検索しているのがわかった。
「貴様が大国主(おおくにぬし)というわけだ!」